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通い詰めるということ


お元気ですか、戦友のみなさん。

どこにでもありそうな駅前の風景です。

でも、僕にとってはなつかしい場所。

品川駅港南口、すっかり開発され、あの頃のビルはこの写真の正面に3つほどしか残っていません。その当時から古ぼけていたビルの間を、

雨をしのぐように、風を避けるように、20代の僕は夕食の店を探したものです。

駅前もこんなに広くなく、長く暗い地下道を抜けると、数台のタクシーがいつも止まっているだけでした。

この駅前の左側に、ソニーのビルがあります。そこに僕は通いました。

通い詰めて通い詰めて、コピーライターの僕は少し成長しました。

1メートル進んでは2メートル後退し、永遠にゴールにたどり着けない不安に押しつぶされたことは数知れません。

今、振り返れば、成長したとかろうじて思えるだけです。

あの日あの時の僕は、ただ夢中で、品川の港南口に通っていました。

オリエン、プレゼンの連続。ソニー宣伝部は僕の第二のオフィスになっていました。

もう入稿まで時間がなく、本当に時間がなく、博報堂の営業も宣伝部の担当も、そのデッドラインをわかっていながら、このコピーでは世の中に出せないと薄々感じていて、雑談のなかにもヒントはないか、とお互いがアンテナを立てながら、いつのまにか、3時からの打ち合わせがもう日が暮れて8時なのでした。

こんな時、クリエイターは想像できないほど、つらいものです。

明日、入稿するには、今日の12時までにコピーを写植屋さんに発注して、特急便で午前中に上げてもらって、版下にする他、道はありません。

今、8時です。会社に戻って(8時半)、コピーを考えるとすると出来上がるのがどんなに早くても10時、ソニーとやり取りするのが10時20分、ファックスで流します(パソコンもネットもないんですよ)。宣伝の担当の方が、それを受け取って、宣伝部長の決裁を取るために見せて(11時くらいか)、承認を得る。そして、電話でソニーから営業にゴーサインが出る(11時半くらいか)。そして、クリエイティブの僕がデザイナーに相談して、写植屋さんに発注してもらう。12時。ギリギリです。すべてがうまくいって、ギリギリ!

もし、ファックスの調子が悪かったら?宣伝部長がこんな深夜に捕まるの?デザイナーが帰ってしまったら?そもそも、宣伝部長にコピーが通らなかったら?そもそもいいコピーを書けなかったら?・・・

入稿が遅れた場合、たとえば新聞広告だとしたら、そこに印刷すべき版下がありませんから、新聞社は「白地」のまま世の中に出すしかありません。これは業界でやってはいけないベスト3に入る、過失行為です。この過失行為が、僕のコピーにかかっているのです。すべては僕のせいなのです。自分の能力のなさをどれほど悔やんだか。数えきれません。

そう、その日、8時の僕は、ソニーの担当者にこう言いました。「すいません、デスクをひとつ貸してください。コピーを書きます。納得できるようなコピーを」。

相手は少し驚きましたが、にこっと笑って、「いいですよ、宣伝部長にはあと1時間くらいいてください、と言っておきます。ふたりで、見せに行きましょう。即断即決でいきましょう」。1時間じゃ書けないかも知れないと思いつつ・・・

その仕事はなんとか間に合いました。過失は未然に防げました。クリエイターはいい広告をつくる喜びもありますが、広告を間に合わせる喜びもあります。手順が複雑だった当時は、入稿出稿は、まさに重い荷物を持って急な勾配を知恵を働かせながら、登ってゆくようでした。頂上に立つと、重い荷物を置き、ああ、やっと終わったと、吸えるだけの空気を吸い込むのでした。

そう、いつもギリギリでした。時間だけでなく、自分の能力の限界値を超えようと必死だったと思います。うまくいくだけでなく、超えてゆく。そのことをいつも意識して生きていました。だから、僕は通っていたのかもしれません。ソニーには、ウオークマンがありました。プロフィールがありました。トリニトロンがありました。ベータカムがありました。歴史的な名商品たちが広告の主人公だった時代。僕は通うことで、それらの商品のコピーを書きたいと願い、書きつつもあったのです。

そして、それぞれのギリギリとの戦いで、かかわるすべての人が心をひとつにしていきました。

最近、人はデスクからあまり動かなくなりました。会社からも動かなくなりました。メールでクリエイティブアイデアやキャッチフレーズを送り、打ち合わせはテレビ会議で、というビジネススタイルが定着したようです。営業の在席率が上がっていることがニュースで報道されていました。

思いを伝えるためには、巡礼は必要です。移動しながら、人は思いを強くし、積み重ねます。そのことを忘れてしまっては、仕事はこだわりのないものになってゆきがちになります。重い資料を両腕に抱えながら得意先に出かけて行った、そんな経験は誰にでもあると思います。そして、その経験は辛かっただけですか。

品川駅港南口に久しぶりに立った時、あの通い詰めた、巡礼の日々を思い出しました。プレゼンがうまく行かず、駅前の路地奥の居酒屋で、苦い酒を飲んだことも。

夏。僕らの戦争を戦った、あのころの戦友たちは、元気でしょうか。

(ことば℃でした。)

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