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長崎教会群を見て


見よ、海のかなたに、私たちの船は来る。

夏の黒く立ちこめた雲の下に、高台の教会がかすかに見えた。その尖塔を目指しながら、急勾配の山道をクルマは登ってゆく。やがてクルマが駐車場に着き、教会の赤れんがの壁に沿って歩いてゆくと、海のパノラマが視界のなかに突然入ってくる。

ああ、こんなに海ははるかで、しかし、希望に似た存在なのか、と胸に迫る。

 長崎の外海(そとめ)地区。隠れキリシタンの里。ド・ロ神父ゆかりの地。

信仰という希望の灯りを苛烈な弾圧のなかで灯し続けた人々の末裔たちが今も住む。

カトリックの信仰にとっては欠かせないサンタマリア像が海を見ている。

それは、ユーラシア大陸の逆側から朝日とともに現れた神父(パードレ)を見つめているのか。あまりの弾圧に堪えかねて夕陽とともに別天地へ船出していったキリシタンたちを見つめているのか。

 今から40年以上前になるが、私はフランス系のカトリックの学校で学んでいた。フランス人の神父たちが10人近くいた。彼らは宗教と英語を教えた。そしてクリスマスやキャンプのときは、賛美歌やゴスペルも教えた。そのなかに長崎にいた神父が、同じくフランス人であるド・ロ神父の話をよくしてくれた。そして、原爆の経験も。

「お金持ちの人々は死ぬときに絶望で悲しそうでした。貧しくても信仰のある人々は希望に満ちていました」。彼がそううつむきながら、フランスなまりの日本語で話していたのをよく覚えている。そして、その時、教室からはるかかかなたに海の光が見えたことも。そう私たちの学校は高台にあり、海を見渡すことができた。

 長崎を旅して、海が空気のように街を包み、鏡のように「生」を映し込んでいると感じた。こんなにも深く、この街には海が満ちているのか、と。五島の島々に渡ったときに、その思いを一段と強く感じ、そこに過去と今のキリスト者たちの息づかいを感じた。静かで時が止まり続けているような入り江の村にも天上に憧れて伸びる教会の塔を見た。

 外海(そとめ)には、遠藤周作記念館があった。海のすべてを見渡せる崖にあり、今度の旅のお目当てのひとつだった。そして、彼の代表作である「沈黙」の舞台がこの外海(そとめ)でもあった。世俗の痛みに負けて、転んでしまい、神を棄てた、バテレンを描くこの小説は深いテーマを私たちに突きつける。

 信仰を持たない人間は希望と絶望の階をエレベーターで激しく動く。時に笑い、時に泣く。そして、それが人生なんだと叫び、納得させる。信仰を持っている人間は、どんな様々な試練があろうとも、エレベーターはやがて希望の階にたどり着くと信じる。涙も最後には安らかな笑顔に導かれるはずだと。それでは、信仰を捨てた人間は、どこにたどり着くべきなのか、希望があるべき階には絶望しかないのではないか、そもそも自分は今どこにいるのか、どこに向かうべきなのか。

 信ずるものを自らが棄てたにもかかわらず、それでもなお、何を信じるべきなのかを探す心。その暗闇は、私たちの「生」が直面している問題につながっている闇なのではないだろうか。

 隠れキリシタンたちは、歴史上もっとも厳しい弾圧に耐えた。もちろん膨大な数の信者や神父が殉教した。その故郷である外海(そとめ)では、「7代後に海の向こうから神父がやってくる」との予言がなされていたそうだ。そして、それは現実になり、ほぼ7代、200年後に、大浦天主堂で信徒が復活する。

 メシア、つまり救い主は、天上からやってくる。それは、数々の宗教画にも描かれている。この宗教上のセオリーはここでは覆される。

 長崎では、それは海からやってくるのだ。海から船に乗って。夕陽または朝日の光の中から現れ出るのだ。

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