雑踏がふるさと
午後6時頃。JR浜松町駅前。交差点にて。
夕闇が迫るころ、働き人たちがどこかへ急いでゆく。
緑色の点滅のわずかな時間を、雑踏が移動してゆく。
それぞれの思いを抱えながら、家へ、次の雑踏へ、と。
そんな光景を見ていると、たまらない懐かしさを感じる。
人が集まり放出するエネルギーは、僕をいつもときめかせる。
(たとえ、それがクリーンなエネルギーでなくても)
人がいる。人と人がいる。
誰かと誰かが、折り重なり合いカンケイをつくってゆく。
愛。恋。夢。金。嘘。拒絶。喪失。そして希望。
その生きることへの必死さは、
僕に生きることへの必死さを伝え溢れ出す。
大自然が好きな君にはわからないかもしれないが、
このありのままの人らしさが僕は好きだ。
癒されなくてもいい、ルールは俺たちがつくるんだという傲慢があってもいい、
明日にはなくなってしまう約束があってもいい。
それが生きてるってことじゃないか。
正しくなくても、答えがなくても、
それぞれであること、バラバラであることは、
素晴らしいことなんじゃないか。
(人間に答えを出せと言っているのは誰なのだろう)
今日も、僕は雑踏のなかにふるさとを見つける。
ヒトゴミのなかに戻ってゆく。
伝えたいことはそんなにあるわけじゃないが、
それでもいくつかの僕なりの手紙を胸ポケットに忍ばせながら。